Dracula ドラキュラDracula ドラキュラDracula ドラキュラまたは、 Viad Tepes ヴラド・ツェペシュと呼ばれる人物は、本当にいた歴史上の人物です。 十五世紀の東欧バルカン半島は、群雄を割拠する戦国の世でした。大きく分けて三つの勢力があり、ひとつは中央ヨーロッパの勢力のカトリック文化圏の勢力、もう一つは、古くからこの地域で力を持っている東ローマ帝国、ビザンチン文化であるギリシャ正教の勢力、更にそこにオスマン・トルコの勢力がありました。 これらの三つの勢力がせめぎ合うワラキアValachia、トランシルヴァニア Transylvania 地方に半独立化した小領主国が存在し、その領主こそ Viad Tepes ヴラド・ツェペシュ、つまり Dracula ドラキュラなのです。 Dracula ドラキュラの由来 Viad Tepes ヴラド・ツェペシュは、ワラキア公 Viad Dracul ヴラド・ドラクルの第二子として生まれました。 Dracula ドラキュラとは、この父の名 Nom-du-pere である Dracul ドラクルからきたもので「ドラクルの息子」といった意味です。 では、父の名の Dracul ドラクルはどこからきたのか? 諸説があります。最も有力なものは「ドラゴン騎士団 Order of Dragon」への任命です。 ワラキア公国の君主 Mircea ミルチア公の私生児だった父ヴラドは、ツェペシュが生まれてまもなく神聖ローマ帝国の皇帝 Sigismund シジスムントが創設した「ドラゴン騎士団 Order of Dragon」の騎士に叙任されます。 これを契機に紋章には「龍」を使い、その名をドラゴン=ドラクルとしたという説です。 この説も、その時点でドラキュラ親子はギリシャ正教徒であったはずで、カトリックの世俗権力である神聖ローマ帝国と結びつけるには疑問が多少残ります。 もう一つの説は、ワラキア公国の宗主国のオスマン・トルコのスルタンに忠誠を誓った父ヴラドが、トルコ軍をトランシルヴァニアにわざと導き、その情報を敵のハンガリー軍に提供し、その混乱に乗じて両大国に奪われた自領を回復したのです。 この行動の釈明をスルタンが望み、父ヴラドと一族が宮廷へ呼ばれました。 そのとき、父ヴラドは帰れたのですが、その子であるヴラド Viad とラドゥ Radu が人質として宮廷に留まったのです。 その際にオスマン・トルコから階位授与で、その名をドラクルとしたという説です。 これも最終的に敵対したトルコからのものをそのままにして用いたとは考えにくいと思います。 ただ父ヴラドがその紋章と共にドラゴンに結び付けられていることは間違いありません。 よく、 Dracula ドラキュラの名前は、悪魔に由来するもので、悪魔的な行為とギリシャ正教に対する背教によるものだとする通説がありますが、これは間違いです。 確かにドラクルとは悪魔の意味ですが、父ヴラドが Dracul ドラクル(悪魔公)と呼ばれていたためその子ブラドは、彼の残虐な行為も手伝ってドラキュラ(ドラクル=悪魔公の息子)と呼ばれたのです。 Tepes ツェペシュ Tepes ツェペシュとは、串刺し公という意味です。 1462年のオスマン・トルコとの戦いにおいて、ヴラド公(ドラキュラ)は、トルコ軍に夜襲攻撃をし、かなりの成果を上げつつも、今ひとつスルタンのところまでは攻めきれませんでした。 もちろんスルタンであるメフメト Mehmet は夜襲に備えておいたのですが、思った以上にワラキア騎兵隊の猛攻はすさまじかったのです。 十数万の兵とわずか数千の騎兵部隊との戦いでは夜襲しか選択の余地がなかったのです。 数日後、態勢をたてなおしてトルコ軍は、ワラキアの首都トルゴヴィシテの郊外まで進軍していきました。 軍が進む先にある奇妙な森が見えました。 道路に沿ってわずかばかり先端に枝葉らしいものがある木が多く立っていたと思ったものは、近づいてみれば、捕虜となったトルコ兵の串刺しされた無残な姿であったのです。 その数、弐万三千八百九名であるとミュンヘン古書館に残る記録が存在します。 首都トルゴヴィシテは、廃墟と化していました。 市内は無人、財宝も家畜も食料もなく、井戸には全てに毒物が混入されており、トルコ軍の士気を完全に打ち砕くに足る状況でした。 さらに黒死病発生した報告を受けたメフメト Mehmet は、退却をはじめました。 さらに、二度目の夜襲攻撃をヴラド公は行い、十分な戦果を上げたのです。 この戦いでトルコ軍兵たちはヴラド公のことをカジクル・ベイと呼び、恐れをなしたのです。 カジクルとは、トルコ語で串刺しのことを意味します。 ポエナリ城 Poenari Castle ドラキュラ公への罠と中傷 残虐物語 ドラキュラ公の最期 小説「ドラキュラ」 聖ジョージ伝説 聖ゲオルギウス祭 |